引っ越して三度目の春</br>庭の新たな表情に気づき 薄れかけた愛情が蘇る

引っ越して三度目の春
庭の新たな表情に気づき 薄れかけた愛情が蘇る

マンションで生まれ育った私は、子どもの頃から「庭」というものに大変な憧れを抱いていました。家が建ち、狭いながらも我が家に庭ができたときは、嬉しくて嬉しくて園芸店に通い詰めたものです。
が、2年も経つと、庭の存在にも慣れ、放置しがちに‥そんな頃のある日の出来事です。

少し前、ガーデナーである友人に、我が家のシンボルツリーであるジューンベリーの剪定方法を教えてもらう機会がありました。
冬の間、庭には全く手を掛けておらず、なんだか庭にも申し訳ないな、と思っていた頃のことです。木の剪定は植木屋さんにやってもらうものと思っていた私ですが、やり方が分かると、自分でやりたくなってムズムズ。
さっそく高枝切りばさみを購入しました。全体の形を見ながら、一本一本の枝を慎重に見極め、切り落としていく。道具のせいもあってか、これがとても楽しいのです。私がにやにやと作業しているものだから、主人も興味津々に寄ってきて、高枝切りばさみの奪い合いになるほど。
そういえば、こうやって木を見上げることも、最近なかったな、とふと気づく。
やっぱり自分で手入れをするっていいな‥形よく整っていく枝を見ていると、忘れかけていた庭への愛情が蘇ってくるのです。

すると、庭のあちこちでこぼれ種から芽吹いているオルレアや、去年植えたことも忘れていた鈴蘭水仙の葉など、今まで目に留まっていなかったものが急に見えてくるから不思議です。
そういえば、今年は芝代わりのクローバーの新芽が出るのが何だか早い気がする。
三回目の春、草花が庭の土になじんできたのかしら。
そう思ったとき、私はやけに幸せな気分になったのです。それは、床のオークが飴色に色づいてきたのを嬉しく思うのに似た感覚。
我が家が建ってから、年月を重ねることに対する喜びの感情なのでしょう。

冬を越すごとにこぼれ種で花が増え、緑が生き生きとしてくるというのは、切り花や鉢植えでは味わえない風景、庭あればこそ、です。
自分たちで剪定した枝に咲く花は今までよりきれいだろうし、そこになる実はもっとおいしいのだろう。
せっかくの庭、手を掛けて、もっと味わうべきだな‥。
切った枝を玄関に飾りながらそう気づいた、春の初めの出来事でした。
 

■エブリー(住まいの広報誌)5月号:2016年4月15日発行

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